日本に扇子が誕生した起源・歴史・発祥地をご紹介します!

扇子の起源と歴史と発祥地

扇子の起源と歴史と発祥地のイメージ画像

扇子は日本(JAPAN)の象徴として国内外問わず人気の高いアイテムです。

現在も私たちの日常生活で目にする機会が多く、根強く浸透し誰もが知っている扇子は、一体どのように誕生していつ頃から存在していたのでしょうか?

このページでは扇子の起源や歴史や発祥地を中心にご紹介していきます。

扇子の歴史

様々な和柄が施された和風扇子のイメージ画像

まず最初に扇子という道具自体が誕生した経緯・名称の由来や、日本で普及するに至った理由を日本の歴史と照らし合わせながらご紹介していこうと思います。

扇子の起源

扇子は日本で誕生したと言われる道具ですが、起源は中国にあります。

扇子という文字に使われている「扇(おうぎ)」という漢字は、中国では本来軽い扉のことを意味していましたが、そこから転じてうちわ(団扇)などの風を起こす道具という意味で使われるようになります。

尚、紀元前の中国では貴人が外出する際に姿を隠すために使う、翳(さしば)と呼ばれる柄の長いうちわの形をした道具も使われていたと言われています。

そして、7世紀ごろにはこのような道具が日本に伝来し、扇子誕生に向けての準備が徐々に整ってきます。

扇子の誕生

扇子は平安時代(8世紀)頃に京都で誕生したと言われています。

最初の扇子は、当時筆記用具として使われていた、木簡(もっかん)という長さ30cmぐらいの薄い短冊状の木の札の端に穴を開けて紙縒(こより)でまとめ、板骨の間を紐で繋いだ木片、檜扇(ひおうぎ)と言われるもので、京都で作られたのがはじまりだと言われています。

扇子(檜扇)の普及

檜扇は元々、男性貴族が公の場で束帯を着用するとき右手に持つ細長い薄板、笏(しゃく)として使用されるようになり、宮中での複雑な作法を書き留めておくためのメモ帳としても重宝していたと言われています。

やがて扇面が上絵で飾られたり、形状が洗練されていくと、宮中女子の間にも広がるようになり、おしゃれな身の回り品としてより広く普及したとされています。

蝙蝠扇の登場

檜扇に続いて登場したのが、蝙蝠扇(こうもりおうぎ)です。

蝙蝠扇は片面に紙を貼り付けた紙扇で、広げた形が蝙蝠に似ていたり、あるいは紙貼りの音が変化したことが名称の由来とされています。

鎌倉時代になると中国に輸出されるようになり、伝統美術工芸品としての発展を遂げます。

その後、室町時代には唐扇として日本へ逆輸入されることでより一層普及し、現在の扇子のベースが形成されていったということです。

扇子は中国・高麗で誕生した説

扇子の起源や発祥地についてはこれまでも長い間議論されてきました。

2024年現在で発見されている文献によれば日本の京都が発祥という説が濃厚だと言われていますが、これまでも議論されてきた、中国や高麗が発祥だということが証明される新たな文献が今後発見される可能性もありえるということだけは言及しておきたいと思います。

ヨーロッパへ広まった扇子

ヨーロッパの装飾が施された洋扇子のイメージ画像

日本で誕生した扇子は鎌倉時代には既にヨーロッパに渡っていたと言われています。

同時期に輸出されるようになった中国を経由してヨーロッパへ渡った扇子は、独自の進化を遂げて洋扇へと発展していきました。

洋扇は骨の素材に金属や象牙、鼈甲などが使われ、骨の部分が見えないように両面に布や絹やレース・孔雀の羽根などを貼った豪華なものが多く、主に貴族や王室などの上流階級の女性たちの間で、コミュニケーションの道具として大流行したということです。

17世紀のパリには洋扇を扱うお店が150軒を数えるほど存在し、18世紀には扇子言葉というボディランゲージが生まれるなど、ヨーロッパの上流階級に根付いていたとされています。

その後、洋扇は絵画や彫刻などの装飾も施されるようになり、芸術や文化の象徴として発展し、明治時代には日本にも伝わってきます。日本の扇子とは異なる魅力を持った別アイテムとして今も親しまれています。

歴史の様々な場面で使われた扇子たち

日本舞踊で扇子を使用する女性のイメージ画像

扇子は日本のこれまでの歴史の様々な場面で使用されてきました。

これまでの歴史の中で、どのようなシチュエーションでどんな扇子が使われてきたかを一つひとつピックアップしていくと、枚挙にいとまがないほど多いので、一部抜粋してご紹介しようと思います。

戦国時代の戦場

戦国時代の戦場で軍を指揮する武将は、軍扇と呼ばれる扇子を使っていたと言われています。

時代によって形式に相違はあったということですが、基本的には黒の塗骨に、表は赤地に金の丸で日輪をあらわし、裏は紺色の地に銀で月と星(多くは北斗七星)が描かれたものだったということです。

江戸時代のお正月

扇子は江戸時代のお正月に、お年玉や親しい相手に儀礼用として、杉原紙(すぎはらがみ)1帖に白扇1本をひと組にして贈答品として贈るなど、広く使用されていたと伝えられています。

お年玉の慣習は室町時代頃から始まったとされており、当初は金銭ではなくお餅をはじめとした品物が中心でした。なかでも武士に人気があったのが扇子でした。

扇子は形が末広がりで縁起が良いだけではなく、冠婚葬祭の儀式や茶の湯、芸能など様々な場面で携帯することが多い必需品だったため、とても重宝されました。

当時、江戸中で年の一番はじめに商いを始めるのは、「扇売り」でした。年賀に向かう武士たちが行き交う正月の通りでは、多数の扇子売りが忙しく商売をしていたそうです。

除夜の鐘をつくといいおう風習が今ほど定着していなかった江戸時代、正月の訪れを知らせるのは扇売りの役目とまで言われていました。

「扇売り 掛取りの気を 弱くする」という川柳があるように、年末に貧乏長屋に押しかけ、未払い請求を強気で催促攻撃していた、今でいう借金取りのような掛取りも、扇売りが発する「扇〜、扇〜」という売り声を聞くと「もう正月になったのかぁ」と咄嗟に気が付いて静かに引き下がったと言います。

尚、お年玉の扇は「御慶」などの文字が記された桐箱に収納し、足のついた台に載せて贈答されました。医者や商店ではご贔屓さんが多い事を示すために、玄関にその桐箱を積み重ねてさりげなく数の自慢をしていたともいわれています。例えば医師には、今と違い免許も資格も無かったため、扇の箱の多さが患者さんからの信頼の証だったのです。

このようなエピソードからも、お正月といえば扇子といっても過言ではないくらいに、欠かすことができない重要な道具のひとつだったということが窺えます。

御宮参り、結納・結婚などの祝儀

扇子はその形から、末広がりにも通じるため縁起物とされており、御宮参り・結納・結婚などのご祝儀としてもとても人気があったといわれています。

扇子の語源にもなっている「扇ぐ(あおぐ)」という本来の機能以外に、冠婚葬祭のご儀式としても象徴的な道具だったということが想像できます。

能楽・歌舞伎・舞踏・落語や茶道・香道などの芸能・芸道

古くから現在まで日本の文化として継承されている、能楽・歌舞伎・舞踏や茶道・香道などの芸能・芸道で使用する小道具としても扇子は欠かすことができません。

能楽・歌舞伎・舞踏・落語で扇子を活用した演技や、茶道・香道で常識とされる扇子の作法は無数に存在します。

例えば落語家さんでいえば、皆さんもご存じだと思いますが、扇子をお箸に見立ててお蕎麦をすすったり、キセルに見立てて一服したりと、演技の見せ場としてもとても重要で、扇子がないと成立しない題目さえ存在します。

ちなみに、今でも落語家さんは真打ち昇進の際、自分の名前が書かれた扇子を配ることが慣例となっているということです。

このように、能楽・歌舞伎・舞踏茶道などの芸能では出演者やご贔屓さんに扇子を配ったり、芸道でも年始に師匠から弟子に扇子を配るといった習慣は古くから現在まで伝統として継承されているのです。

歌劇・演劇・舞台やバブル期のディスコ

前の項目でも言及しましたが、日本の扇子がヨーロッパに伝わり、進化を遂げた洋扇も日本の歴史の様々な場面で使用されてきました。

例えば、1913年に設立されたた宝塚歌劇団などで観ることができる、ヨーロッパ由来の歌劇や演劇・舞台に登場する人物の持ち物として羽で飾ったゴージャスな洋扇が使用されることは現在でも珍しくありません。

他にも日本のバブル経済期の象徴として引用されることが多い、1990年代の初頭に流行したディスコ、ジュリアナ東京で女性が踊るときに手にしていた「ジュリ扇」といわれる羽根で飾られた扇子も有名です。

まとめ

水色の着物を着た小さな女の子が顔の前で扇子を広げているイメージ画像

扇子は令和の現在も、日本を訪れた世界中の方々から愛される美術工芸品として日々アップデートをし続けている、日本を象徴する人気のお土産品です。

この記事を読んでくださった皆さんが、扇子は単なる道具としてだけではなく、日本の文化や歴史を形成するうえで、とても重要な役割を担ってきたということを少しでも感じ取ってもらえれば幸いです。

これまでに長い年月をかけて育んできた扇子の文化と歴史を、これからも時代に合わせながらアップデートを繰り返して、次の世代にもしっかりと継承されていくことを切に願っています。

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