ヨーロッパの扇子文化と扇言葉

ヨーロッパへ輸出されるようになった扇子

中国より伝来した団扇（うちわ）をベースにして、平安時代（8世紀）頃に京都で誕生したといわれている扇子は、江戸時代になると広く庶民にも普及していきました。そして16世紀頃にはヨーロッパに渡るようになり、1872年の1年間に約80万本の扇子が日本から輸出され、17世紀のパリには約150件もの扇子屋が存在し、扇子協同組合が設立されるまでに発展を遂げたといわれています。

ちなみに、当時のフランスの画家、エドゥアール・マネはスペイン趣味で扇を手にする女性を描いていたり、日本の浮世絵や水墨画の要素を取り入れた、ジャポニスムの影響も指摘されているということは有名な話で、当時いかに日本の文化や、それを象徴するアイテムである扇子がヨーロッパで人気があり、ヨーロッパ文化の一部としても浸透していたということが伺い知れます。

スペインで受容された扇子

ヨーロッパに輸出されるようになった扇子は、特にスペインでは熱烈に歓迎されました。

受容された理由は定かではなく諸説ありますが、当時、エキゾチックな文物を盛んに取り入れていたり、他にもスペイン独特の暑い気候の影響で、涼をとることができる扇子の受容が高まったなどともいわれますが、スペインでは、扇子を扇ぐ道具以外にも、芸能の小道具・インテリア・コミュニケーションの道具としても使われてきたことから、決して気候だけがスペインで扇子が受容された理由ではないといえそうです。

ヨーロッパで独自の進化を遂げる扇子

スペインで最初に受容された扇子は「スペインの煽具」の名でヨーロッパの各国に伝搬し、貴族の女性の持ち物として定着し、次第に日本や中国とは異なる、ヨーロッパならではの、ロココ様式を取り入れた、優雅なデザインの扇子などが多く作られるようになります。

扇子の骨と呼ばれる土台の部分に象牙やべっ甲、金属など板状の素材を使用し、扇面には七宝・エナメル彩・透かし彫りといったゴージャスな技法を施した仕様が特徴的で、薄板上の素材をリボンなどでつなげた「ブリゼ式」や、紙、レース、シルクなどを用い、扇面全体に絵が描かれていて、扇面を折りたたむタイプの「プリーツ式」、ダチョウのようなフォルムで円形に開く扇面が特徴的で折りたたむタイプの「コケード式」など、当時の絵画の流行なども取り入れたバラエティに富んだ表現の扇子たちは、扇ぐための道具というよりも、アクセサリーとして携えられていたのではないでしょうか。

このような扇子の中には、デザインや装飾が洗練された、金・銀・宝石を使用したものもあり、当時ヨーロッパの貴族や上流階級の子弟が、国外でマナーや社会を学ぶグランドツアーと呼ばれた遊学のお土産用や、結婚式の引出物としても重宝されたといわれています。

ヨーロッパの上流階級社会で貴婦人達が使っていた「扇言葉」とは？

スペインで上流階級の女性達の間でマストアイテムとなった扇子は、扇いで涼をとったり、アクセサリーとして身に着ける以外にも、次第に様々な使われ方をするようになります。中でもスペイン宮廷など、ヨーロッパの上流階級社会で、貴婦人達が言葉の代わりになるコミュニケーションツールとして用いた、扇子を使ったジェスチャー「扇言葉」はとてもユニークで興味深い内容です。ここからは、辞典まで存在していたといわれるほど当時流行していた「扇言葉」が誕生した経緯、使い方や合図の意味などを更に詳しくご紹介していこうと思います。

「扇言葉」が誕生した経緯

18～19世紀頃のヨーロッパの上流階級では、例え恋人・婚約者同士だとしても、男女がおおっぴらに2人きりになるのは、はばかられていたため、実際に言葉を発さずに2人きりにならなくとも、相手に気持ちや思いを伝える手段として生まれたのが、扇子言葉だといわれています。

今では男女がおおっぴらに2人きりになることに対して、抵抗感があるという人も少ないと思いますが、当時の人々は相手が目の前にいるにもかかわらず、声をかけることができないというもどかしさを抱えながら過ごしていた日々がいかに窮屈であったかということが想像できます。

当時の人たちは口にしたくても出来ない思いを、扇子に込めて必死に伝えていたのだと思います。

「扇言葉」の合図の意味

当時のヨーロッパで扇子を使用していたのは主に上流階級の女性であり、扇言葉の中には意中の男性に向けて、恋愛感情を表現合図が多数存在します。

ここでは代表的な「扇言葉」の意味や使い方をピックアップしてご紹介いたします。当時の舞踏会や社交場で、周囲の目を盗んで展開されていた恋のかけひきをイメージしながらご覧いただければと思います。

合図【はい・いいえ・お近づきになりたい】

• 1.はい

  閉じた扇子の先端を右頬に当てる

• 2.いいえ

  閉じた扇子の先端を左頬に当てる

• 3.お近づきになりたい

  左手で持った開いた扇子を顔の前に持つ

合図【私についてきて・あなたに話しかけたい・私にキスしていいわよ】

• 4.私についてきて

  右手で持った開いた扇子を顔の前に持つ

• 5.あなたに話しかけたい

  閉じた扇子の先端を指で触れる

• 6.私にキスしていいわよ

  半開きにした扇子を唇に押し付ける

合図【あなたは私の心を射止めた・あなたなんか大嫌い・あなたを追い払いたい】

• 7.あなたは私の心を射止めた

  閉じた扇子先端を心臓に当てる

• 8.あなたなんか大嫌い

  手を扇でなぞる

• 9.あなたを追い払いたい

  閉じた扇子の先端を左耳に当てる
  ※不機嫌を装うとより相手に感情がより伝わります

合図【私のこと愛してる？・私を待ってて】

• 10.私のこと愛してる？

  閉じた扇子を横向きにして、鼻と唇の間になる位置で顔の前に持つ

• 11.私を待ってて

  左手で持った大きく開いた扇子を顔全体が見えるように顔の前に持つ
  ※余裕を持った笑みを浮かべると相手に感情がより伝わります

合図【私たちの秘密を漏らさないでね・なぜ私のことを誤解するの？】

• 12.私たちの秘密を漏らさないでね

  開いた扇子で左耳を覆い、人差し指を立てて秘密のポーズをとる

• 13.なぜ私のことを誤解するの？

  閉じた扇子を物憂げな表情で見つめる

スペインでは今も扇子が生活に根付いている

扇子がヨーロッパに輸出されてから現在に至るまで、ヨーロッパの扇子文化の形成に貢献してきたスペインでは、現在でも扇子文化がしっかりと根付いています。

スペインでも日本と同様に、比較的お手頃な価格の商品が一般的に流通しているということもあり、扇子の本来の使い方である、扇いで涼をとる道具以外にもインテリアとして装飾用に使用したり、スペインの無形文化遺産としても名高いフラメンコでも舞踊用として使用されるなど、日本と同様に長きにわたって多様な使われ方をしています。

スペインの文化を吸収することで、独自の進化を遂げた扇子が、日本と同様に自国の文化としてスペインでも大切に扱われていると思うと、なんだかとても親近感が湧いてきます。

まとめ

1つの国の文化が他国に渡って独自の進化を遂げ、また1つの新しい文化が誕生する。

このような文化の誕生・成熟・継承といった健全なサイクルが世界各国で発生する中で、扇子文化が今後どのように変化していくかとても楽しみです。